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随時所感

2016.06.20

舛添都知事が辞職に至った一連の騒動を見て感じること

一言で言えば、日本人はイジメが大好きな人種だ。

政治資金に関する舛添氏の説明に問題があったのも確かだ。
参議院議員時代に単なる家族旅行を政治資金から会議費として支出していた点などは完全に舛添氏の落ち度であった。
それが初めて露見したとき、彼が即座に謝罪していればよかったものを、「ああ言えばこう言う」トーンで信ぴょう性に欠ける弁解を繰り返した。これも落ち度だ。

今思うに、あの「ああ言えばこうウソを言う」舛添氏の説明・その発想(人間性)に対するマスコミと視聴者の嫌悪が1億人対1人というような袋叩き的構図となった今回の辞任劇に至ったように感じる。

1億人が、総がかりで1人を袋叩きにすることを私は「イジメ」と呼ぶ以外に表現の仕方を知らない。
しかし、今回の件を「イジメ」と表現することに違和感を覚える方もいらっしゃると思うので、冷静に「イジメ」について、そもそもイジメとは何であり、どうして起こるものなのだろうかということを考えてみたい。
学校や職場など一般社会に発生するイジメの原因は様々であるが、次の4つに分類してみた。

① 妬みを原因とするもの。
② 自分(社会一般)の常識と異なる者への嫌悪を原因とするもの。
③ 弱くて情けない者を攻撃することで得られる優越感を原因とするもの。
④ 悪者を懲らしめることで評価されたい感情、即ち、自分が正義の味方になったような優越感を原因とするもの。

私は専門家ではないのでこのくらいしか思いつかないが、仮にこの4種に分類したとすれば、舛添氏が会見の度に「ああ言えばこう言う」常識外れな弁解に国民が嫌悪したことは「②」に該当する。

不適切な支出という「悪事」が明らかとなり、もはや「国民の嫌われ者」となった舛添氏を追及することで自らの評価を上げたい都議会議員らは「④」に該当。

スイートルームやファーストクラス、黒塗りの公用車にこれまで当然としてに乗ってきた都知事への妬みは「①」に該当。

そんな立派なハズの東京都知事が今や国民の全てから総スカンにされ、記者や議会に糾弾され、哀れな姿になり下がった彼を見たいと思う大衆の欲求、そしてその欲求に応じてそれをコメンテータを使って盛り上げながらTVカメラで茶の間へ届けるというマスコミは「③」に該当する。

大衆たる視聴者及びマスコミら本人にイジメをしている自覚は寸分も無いかもしれないが、大勢で1人の人間を吊るし上げ、嘲笑し、手をたたきながら、死ーね!死ーね!(辞めろ!辞めろ!)と追い詰める。これぞイジメの真髄であろう。

結局、舛添氏の場合は①~④全ての要素が合致した最強のいじめられキャラだったことがわかる。

どんな凶悪な殺人犯にも裁判となれば弁護士がつくが、今回の舛添騒動で彼を弁護する声を一度も聞いたことがなかったのも、これがイジメたる証拠にほかならない。
下手に弁護などすれば火の粉がこちらに飛んでくる。イジメを咎めれば次に自分が標的にされる構図もよく似ている。

私は、舛添氏は辞める必要はなかったと思っている。批判されるべき彼の落ち度となった政治資金は参議院議員時代のものであり、都知事としての失敗ではないので都議会でなく、裁判で決着されるべきもの。また、ファーストクラス・スイートルームは、ただの都職員でない重要な公選職=都知事としての待遇を旅費規定に従って充てがわれていたものだということ。これを本人に贅沢か否か弁解させるのは酷な話だ。そしてこの話をつき詰めれば、総理に政府専用機は贅沢か?皇族の旅費はどうなのか?と際限がなくなる。

公用車の問題については、そもそも公用車とはなぜ存在しているのかを考える必要がある。TVを見ていると、公用車とは、都知事という偉い人を公務の際にカッコつけさせてあげるための乗り物のように思える。果たしてそうだろうか?
私は、都知事という他に代えの利かない偉い人が、自分で運転などして万一事故を起こして被告になったら都政にとっての損失だから、運転しなくても良いように用意された乗り物だと考えている。都にたった一人のトップだから付くのであり、他に何人もいる都議には付かないのは当然である。
であれば、原則どこへ行くにも利用して私は良いと思う。SPも同じではないだろうか?公務の時だけ危険だからボディガードするというのは、危機意識が欠如しているか、単なるカッコつけさせるアクセサリーのどちらかである。

湯河原の別荘通いも批判の的とされていた。「もし、湯河原にいる時に首都直下型地震があったら都知事として迅速な対応が出来るのか」と。しかしこれも難癖的な批判ではなかろうか?都議と違い、都知事になる人の要件は都民に限られていない。なので、知事にはその官舎たる知事公邸が存在していたが、渋谷に戸建て、ジャグジー付で「贅沢すぎる」と平成26年末に売却された。贅沢かどうかは建てる時に簡素にするべきかどうかの問題で、既に存在する知事公邸を、もし首都直下型地震が来た際の危機管理の上の観点から議論することなく、「贅沢」を理由に売却しておきながら「都知事は危機管理上、湯河原の別荘に行くな」とは、いささか身勝手すぎる論ではなかろうか。

都議会総務委員会で女性の公明党都議が舛添氏に辞職を迫って拍手を浴びていた。
「知事、あなたは就任以来、東北へ行っていません。復興五輪を語る資格はありません。辞職するべきです。」と。
「都知事の仕事とは、東北へ行くことか?そもそも都知事が行けば復興するのか?」と思ったのが日本中で私だけでなかったことを願いたい。
まさに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い大衆に迎合した感情論であった。とにかくミソでもクソでも責めなきゃ自分が「かばっている」と責められかねない。彼女も気の毒な立場だったのだろう。

子供の為にも今すぐ辞めたいと涙を流すにまで追い詰められた都知事が、総務委員会の最後に「無給でいいから猶予を下さい」と、頭を垂れた時、委員会室に無数の嘲笑が響いた。
日本人ってこんな感じだったろうか?いや、これこそ戦争に突き進んでいった時と今も変わらない日本人特有の全体主義的な空気感・連帯感なのかもしれない。

今、TVでは舛添氏が辞めたお陰で本来やらなくてもいい都知事選に50億円かかると騒いでいる。
100%税金な訳でもない政治資金から家族旅行の30万円を計上したことに腹を立て、50億を払ってスッキリする東京都民。その金を東北や熊本に持っていった方がよりマシだというセンスで舛添イジメをしていたのではなかったのか?

都民のみなさんに申し上げたい。次の選挙で選んだ都知事に、また罪に問えないボロが出たとしても、任期満了までガマンするのが選んだ人の責任の取り方である。
そしてそれが次にまともな人を真剣に選ぶための良い薬となるのだ。

青島都政の折に舛添氏が言っていた名言。

「うっかり一票、がっかり四年」。

彼にとって最も気の毒だったのは過去に吐いた全ての批判・皮肉がすべて自身に突き刺さっているところだ。

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