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随時所感

2013.07.24

集団的自衛権について考察する

安倍内閣は秋にも集団的自衛権の解禁へ向け政府の憲法解釈を180度転換し、通常国会に国家安全保障基本法を提出して成立を図る方針だ。

最近は絶滅危惧種となった自民党ハト派。

もともと自民党内のハト派はその強弱の差はあるが、吉田茂系の政治家であり、タカ派の岸信介系の政治家と好一対をなしてきた。とりわけ岸内閣が新安保条約の締結をめぐり左翼の暴動を引き起こして退陣以来、吉田系池田勇人の「低姿勢」と「寛容と忍耐」に象徴されるハト派首相がタカ派首相を数の上で圧倒してきた。吉田系の流れは、池田派と佐藤派に分かれ、両派を保守本流と称した。池田系の首相は池田、大平、鈴木、宮沢、麻生。佐藤系は佐藤、田中、竹下、羽田、橋本、小渕と合計11人。これに対してタカ派岸系は、岸、福田(赳)、森、小泉、安倍、福田(康)の6人である。

私は一人の地方議員に過ぎないが、今も変わらずハト派の一人と自認している。

今回は、一つの考え方・個人的見解として、集団的自衛権について考察してみる。

<集団的自衛権の定義と国際法>

そもそも集団的自衛権とは、『国連憲章第51条で加盟国に認められている自衛権の一。ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国が共同して防衛にあたる権利』(大辞泉)とされている。

実際の条文(国連憲章第51条)を確認してみると、『この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。』と規定されている。

わかりやすく言えば「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合は、国連安保理が必要な措置をとるまでの間、その攻撃を受けている国には自国を防衛する権利(個別的自衛権)と、攻撃を受けた国と密接な関係にある他国(第三国)には共同で防衛にあたる権利(集団的自衛権)という、どの国家も本来持っている固有の権利は阻害されない。」と読み取ることができる。

国際慣習法上、相手国の攻撃が急迫不正のものであり、他に選択の余地がないという「必要性」と選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「均衡性」が、国家が合法的に個別的自衛権を行使するための要件とされる。

一方、集団的自衛権については、国際司法裁判所のニカラグア事件判決(1986年)において、上記の個別的自衛権行使の要件に加え、「武力攻撃を受けた国による攻撃を受けた旨の表明」と、「攻撃を受けた国による第三国への援助要請」が、国際慣習法上、要件とされるとした。

同判決とは別に、もう一つ、「第三国の実態的利益侵害」という点を要件にするか否かについては現在も学説等で意見の相違がみられる。

まず、第三国の実態的利益侵害を必要とする説(自己法益防衛説)は、集団的自衛権とは、「自国(第三国)と密接な関係にある国が武力攻撃を受けたことが、自国にとって死活的な法益の侵害にも当たるため、それに対して行使できる権利」だとする考え方。

「死活的な法益」とは攻撃を受けた国が独立と安全を維持することによって確保される自国(第三国)の利益であり、攻撃を受けた国と自国との間に安全を一体化させうるだけの「密接な関係」が必要とされ、それは、地理的な近接性に加え、政治・経済・戦略的な面での密接な協力関係が存在することとされている。

つまり、自国が攻撃を受けていないのに自衛権を発動する以上、より厳格な要件をクリアする必要があるとするものである。

これに対し、それを要件としない説(他国防衛権説)は、集団的自衛権を「他国が攻撃された場合にそれを助ける権利」とし、攻撃を受けた国の武力が不十分である場合に国際の平和と安全のために行使される共同防衛の権利であり、自国(第三国)の実態的利益侵害とは無関係であるとする考え方。

この立場は、国内法(刑法)の「正当防衛」から法的根拠を見出そうとするものであるが、正当防衛とは、『急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為』(刑法36条)を言い、処罰されない。

自己のみならず「他人の権利」をも対象としていることがポイントで、この「他人」を「武力攻撃を受けた国」に置き換えて集団的自衛権を解釈するのである(もっとも正当防衛の定義は国ごとに異なり、特に英米法では他人のための正当防衛は近親者等に限られている場合が多い)。

ニカラグア事件判決においてもこれらのうち、いずれの説が採用されたのかは明確にされていない。

そうである以上、現状としては国際慣習法的には、どちらでも構わないと解釈できるわけで、要件にしてもしなくてもいいということは即ち、「しなくてもいい」ということになる。

ただし、国家が独自に集団的自衛権の行使に対してより厳しい要件を設けることは自由である。

<憲法第9条と政府解釈>

憲法第9条は『①日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』と規定している。

わかりやすく言えば、「日本国政府による、国際紛争を解決する手段としての戦争と武力威嚇と武力行使の禁止」と読み取ることができる。

政府は、「自衛権のうち、個別的自衛権は独立国として当然に保有し行使もする。ただし、集団的自衛権については、これも独立国として当然に保有しているが、それを行使することは憲法上許されない。」という解釈を貫いている。

例えば海上自衛隊の米艦護衛をめぐる議論についても、集団的自衛権ではなく個別的自衛権の拡大解釈で対応している。

つまり、日本有事の際には、『日本を救援に来た米艦に対し、その救援活動が阻害されるという場合に日本側がそれを救い出すのは領海においても公海においても、これは憲法に違反しない個別的自衛権の範囲内である。』(1983年2月5日衆院予算委・中曽根首相答弁)という政府解釈は正に集団的自衛権の一部を個別的自衛権の範囲に収めてしまった拡大解釈と言ってよい。

であるならば、集団的自衛権のうち、個別的自衛権の拡大解釈で消化できるものと、そうでないものに分類する必要がある。

そもそも集団的自衛権という以上、個別的自衛権に消化される集団的自衛権という表現自体おかしな話であるが、ここで言いたいのは、いわゆる純粋な文字通り憲法9条で禁止している「集団的自衛権」とは何かと定義することが必要という事である。

日本有事であれば、それを救援する米軍との共同防衛は個別的自衛権の範囲内という政府解釈は前述のとおり。

では、日本有事でない場合の共同防衛とは何か。

具体例をあげるならば、

①日本を通り過ぎ米国への進路を取る北朝鮮の弾道ミサイルへの迎撃。

②国連平和維持活動におけるゲリラ等から攻撃を受けた他国籍部隊への救援行動。

③(例えば、キューバによる)米国への攻撃に対する共同防衛(援軍)。

などが考えられる。

まず、①について。

日本有事でなく突然、例えば北朝鮮から米国本土に向けられミサイルが発射された場合、何ら被害を受けてない日本がそれを打ち落とすのであれば明らかに個別的自衛権の範囲を超えた集団的自衛権の行使に当たると考えられるが、実際問題としてその軌道を考えると無意味な仮想だという結論にたどり着く。

例えば北朝鮮からワシントンD.C.に向けての最短軌道は、アラスカより北の北極海を通過するコースとなり、日本を通過しない。

また、西海岸のサンフランシスコに向けて発射された場合においても樺太を通り、カムチャツカ半島の先端を通過し、更にアラスカ南の太平洋を通過するコースとなるのは、地球儀にタコ糸を当ててみれば一目瞭然である。

そして、仮に米国本土へ向けられ北極を通過するミサイルを日本から迎撃しようとしても、発射されてから軌道予測や速度計算がなされた後に、日本の迎撃ミサイルが高速の弾道ミサイルを追いかけて打ち落とさなければならないので、物理的に不可能なのである。

よって、アメリカ本土を狙う北朝鮮からのミサイルには日本は全く為すすべがなく無関係だと言ってよい。

では、ハワイやグアムはどうかといえば確かに日本本土を通過する軌道となる。

しかしこちらも、北朝鮮が米国本土から離れたこれらの基地を狙うのであれば、時を同じくして在日米軍基地にも攻撃しなければ、直ちに無傷の在日米軍から強烈な反撃を受けることになる。北朝鮮が対米戦を考えた時、ハワイ・グアム攻撃は在日米軍基地への攻撃とセットと考えるべきである。

もし、在日米軍基地との同時攻撃であれば日本有事なのだから個別的自衛権でミサイル迎撃は対応できることになる。

②については、憲法第9条の「国際紛争を解決する手段」に当たるか否かの部分と、国連憲章第51条の「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」の部分を再確認する必要がある。

そもそも平和維持活動というのは、まず準備段階において当該紛争地域において停戦が実行され、停戦ラインが設定されることとなる。この停戦ラインの設定においては、両勢力が共有する地図で線引きを行い、両勢力の関係者全員の合意で成立する。

次に緩衝地帯が合意によって設定され、両勢力の戦力は緩衝地帯から撤退する。平和維持軍は停戦ライン付近に監視所・陣地を構築してそこに部隊を配し、停戦監視や避難民キャンプの運営支援、治安維持、選挙監視などを実施することとなる。

これらを踏まえて憲法第9条に当てはめた場合、既に停戦合意がなされて紛争が解決し、その解決した状態を維持する国連の活動をもって「国際紛争を解決する手段としての」軍事行動とは到底言えないように思える。

更に、国連憲章第51条の言う「集団的自衛権」とは、急迫不正な攻撃に対し、安保理が必要な措置をとるまでの間に認められる集団防衛の権利なのであって、平和維持活動は「安保理のとる必要な措置」そのものであるから、そもそも独立国が本来保有する集団的自衛権とは異なるものであると考えられる。

また、各国軍隊から編成され、それぞれの国の軍服に身を包んでいるものの、ブルーベレーやヘルメットをかぶり、UNと大書された車両で活動するPKO部隊への攻撃は、各国軍への個別的攻撃なのではなく、PKO部隊への攻撃とみなされるべきである。PKO参加国にとって、PKO部隊への攻撃は即ち自国への攻撃なのだから、個別的自衛権、あるいは正当防衛的武器使用で解釈が成り立つはずである。

次に③について。

これこそ、誰もが認める集団的自衛権ではないだろうか。

『ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国が共同して防衛にあたる権利。』(大辞泉)

「米国と密接な関係(同盟関係)にある日本が共同して米国の防衛にあたる権利」

政府が言うところの「保有すれども行使はせず」は正にこれであろう。

日本が憲法により自ら制限をかけ「行わない」としている集団的自衛権とは、言い換えれば「他国有事における援助防衛権」と言えるのではないだろうか。

現在、日本の集団的自衛権を解禁するべきではないかという議論が一部で起こっているが、いかなるイメージによる「集団的自衛権」なのかは明確に統一されているわけではない。

仮に③ケースの「他国有事における援助防衛権=集団的自衛権」であるならば「それは少し話が違う」という解禁論者も少なくないはずである。

<日本の集団的自衛権解禁の意味>

前述の①も②も集団的自衛権でなく、③こそが、日本が現在禁じている集団的自衛権であるとするなら、そして、その集団的自衛権を今後、仮に解禁しようとするのであれば、やはり国際慣習法的(ニカラグア事件判決)には曖昧にされた集団的自衛権の要件をキチンと議論しておく必要があるように思う。即ち、集団的自衛権で、前述の自己法益防衛説をとるのか他国防衛権説をとるのかという議論である。

私個人としてはそもそも日本が集団的自衛権を解禁する必要はないと思っているが、あえて、どうしても解禁だというのであれば、消去法で自己法益防衛説を支持したい。

なぜ消去法かといえば、他国防衛権説では論理矛盾が生じるからである。

前述のとおり他国防衛権説は国内法の「正当防衛」の「他人の権利の正当防衛」を「武力攻撃を受けた国の正当防衛」に置き換えて法的根拠を見出そうとするものであるが、「他国を防衛する権利」を第三国に認めることは、武力行使を厳しく制限しようとする国連憲章の精神に反するのではないかという疑問が生じる。

即ち、集団的自衛権という名分のもと各国が個々の判断で他国援助のための軍事行動ができると認めてしまっては、侵略行為に対して集団的な措置で対処しようと加盟国の個別判断と裁量による武力行使を禁じる憲章の理念に明らかに抵触していると言わざるを得ないのである。

また、加勢する国の行為は自国あるいは自国の法益を防衛するのではなく、あくまで他国を防衛するものであるから、本来、「集団的自衛権」という表現は適当でなく、「集団防衛権」あるいは「他国援助防衛権」と呼ばれるのが相当で、まさに緊急防衛としての自衛たる集団的自衛権とは区別されるべきではないだろうか。

よって、もし仮に日本が集団的自衛権を解禁するのであれば、およそ集団的自衛権とは呼ぶに足らない他国防衛権説は消去され、自国が攻撃を受けていないのにもかかわらず自衛権を発動するからには厳格な要件を要求し、集団的自衛権の乱用を防ごうとしている「自己法益防衛説」が採用されるべきだと考える。

繰り返しになるが、そもそも私は日本の集団的自衛権の解禁は必要ないと考える。

これまで述べてきたように、従来政府が行ってきた個別的自衛権の拡大解釈で米艦護衛等、大方の問題に対応することができる。

また、国連を通じた国際貢献活動も「自衛権」と「国際紛争」の外の話である。

まさに、日本にとって禁じられた集団的自衛権とは、密接な関係にあり、ここが侵略されると日本にとっても死活的な法益の侵害となる国(現状、日本にとって米国だけ?)が地球の裏側で行う自衛戦争に援軍を送るのか否かという問題である。

今の世の中、米国を侵略しうる国があるかどうかという問題もあるが、自己法益防衛説の解釈次第によっては米国の覇権的意図から生じる戦争についても「集団的自衛権」が口実にされかねない危険性があることを考えれば、日本の集団的自衛権の解禁は国際慣習法上その要件が厳格に確定されていない(ニカラグア事件判決)現状においては時期尚早といえよう。

これが、現状、私の結論。

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