2012.04.21
石原都知事の尖閣購入宣言について考える。
そもそも尖閣諸島は、1885年以降、政府が沖縄県当局を通じて再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入されたものである。
同諸島は以来、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、その証拠に1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。
従って、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。
以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものである。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中国も台湾も1970年後半の東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するにつれて、はじめて尖閣諸島の領有権を主張するに至っている。
よって、尖閣問題とは領土の帰属が不明瞭な、いわゆる『領土問題』ではなく、日本固有の領土に対して中国、台湾が領有権を主張しはじめたということを日本政府として認識しているという外交問題である。
日本の尖閣諸島を自国の領土として主張したい中国や台湾としては、日本への領海侵犯を行い、チョッカイをかけることでその対応を見極め、日本側に隙があればそれを口実にあたかも日本が悪いかのように国際社会に領土問題の存在を示そうとしている。
それに対し、これまで日本政府は中国や台湾との極度な外交関係の悪化を恐れて毅然とした態度を取ってこなかった(海上保安庁の警備艇に体当たりを仕掛けた中国船長を刑事訴追することなく釈放したことは周知の事実)。
そして今後もこれに準じた対応が引き継がれていくことが予想される。
このことが、尖閣問題の本質ではないだろうか。
固有の自国領を侵犯する他国に対し、日本政府はどう対処するべきなのか。
それは国内における尖閣の所有権が国であれ、都であれ、民間であれ、たとえ中国人が購入していたとしても、その土地が日本の領土であることには変わりなく、である以上、日本政府は自国領について防衛の義務を負うことに変わりはない。
そもそも日本の実効支配は既に完結しており、その証明として現在、民間所有であっても当然に海上保安庁が警備している結果、過日の中国体当たり船長釈放の騒動があったのだ。
先般、尖閣を石原都知事が都で購入したいと宣言した。
しかし、繰り返しになるが、都に所有権が移ったとしても国が周辺海域を警備防衛することに変わりはなく、その警備の網にかかって拿捕された不審船も結局は地検の判断という形にさせられるか否か別として政府の深い関与によって釈放されるのか毅然とした対応が取られるのかが決定される。
要は、政府がどこまで毅然とした態度が取れるのか。
そのためには一定の関係悪化(中国によるレアメタルの禁輸措置など)に対し、日本がどこまでの覚悟、あるいは代替仕入先の確保など、事前の準備ができるのかがポイントである。尖閣が民有地から公有地に変わったところで尖閣の根本的な問題が特に改善されるものではない。
もし、石原氏が尖閣問題に日本が毅然とした対応ができるよう、その問題解決に正面から取り組みたいのであれば多額の費用を尖閣所有権の購入に当てるのではなく、中国以外でのレアメタルの開発などに当てた方がより真っ当な対策なのではないだろうか。
そもそも、そのようなことは都ではなく政府がやるべき問題であるが、しかし、日本政府がしっかりこれに取り組んでいるかと言えば、こちらも甚だ疑問が残る現状である。
結論として、今回の石原都知事の行動は、日本の国益にとって特段の効果があるものではなく、自分の目論んでいた新党構想が頓挫し、それでもまだ首相の座が諦めきれない石原氏の考えた極めて個人的な政治パフォーマンスに過ぎないと言えよう。
だとすれば、都の公金を使っての個人的政治パフォーマンスというのはいかがなものであろうか。石原都知事、御年79歳、老害と言われてもやむを得まい。