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随時所感

2012.04.04

歴史に学び、正しい経済対策を考える。

100年に1度の「平成恐慌」ともいうべきこのデフレ不況。

日本は約100年前にも経済恐慌に陥ったことがある。

歴史の教科書にも出てくる昭和恐慌は、そもそも第一次世界大戦の影響による好景気が原因であった。

第一次世界大戦は1914年に勃発。ヨーロッパを舞台とした複数の近代国家による総力戦は、戦場にならなかった米国及び、アジアの新興国・日本にとって輸出増大の要因となり日本経済は「船成金」に象徴される空前の好景気となった。

しかし、大戦が終わり、傷ついたヨーロッパ列強国の生産力が回復するとともに外需のなくなった日本経済は、1927年には金融恐慌が起こるなど急激な不景気(デフレ)へと転落していく。同じく米国も1929年に世界恐慌を引き起こすことになる。

その苦境のさなかの1929年に発足したのが浜口雄幸内閣であり、蔵相、井上準之助であった。

この2人はデフレ下において金解禁と徹底した歳出削減(緊縮財政)を断行した。

前首相、田中義一の腐敗政治に対する反動もあり、浜口首相はその風貌もあって「ライオン宰相」として国民から熱狂的な支持を受けた。

浜口首相は「痛みを伴う改革」をスローガンに、「全国民に訴う」というビラを全国1300万戸に配布し『我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのいで、後日の大いなる発展を遂げなければなりません』と訴えた。

「ライオン」・「痛みを伴う改革」・「国民の支持」かつての小泉首相と酷似している。

江戸時代の田沼意次と松平定信を対比してみてもそうであるが、昔から日本の民衆は大胆な経済投資を行う指導者より、質素倹約を訴える清貧な指導者を好む傾向にあると言える。

もちろん、貧しい国民の犠牲の上に権力者が自分だけ甘い汁を吸う構図は最低である。

国民が貧しいときは政府も質素倹約すべきだという感情論はわからなくもない。

しかし貧しい国民を政府の経済政策によって富める国民にすることができるのに、なんの対策も打たず、ただ国民を貧しいままにしておく質素倹約の清貧政府は本当に国民のためになっていると言えるのだろうか。

デフレ下で緊縮財政を行なった浜口内閣と小泉内閣。

結果は共通しており、いずれも、日本経済を更に落ち込ませ、そういった時に限って負の外的要因も重なって100年に1度の経済危機、デフレを招いたのである。

デフレ期に緊縮財政をやるのは間違いである。

そもそもデフレとは、市場の需給バランスが供給過剰、需要不足の状態をいう。

働きたい人・生産された物という供給量に対して、買いたいと思う需要が少ないということである。

デフレで物が売れないから企業は価格を下げる、人件費を下げる、解雇する。そうすれば、賃金を下げられ、あるいは解雇され購買力を失った消費者の消費需要は更に低下する。よって更に物が売れなくなるから、更に価格を下げるために人件費を下げ、解雇する。負の連鎖、デフレスパイラルに陥る。

ではこうならないようにするにはどうしたらいいのか。

政府による需要の創出(公共投資)と、国民の消費意欲を煽る対策(例えば消費税減税や貯蓄への課税など)が必要となる。

デフレ期には通貨の価値が高まり、物より通貨を保持する志向、借金するより返済する志向が強くなり、結果、企業や国民の債務が縮小する。

資本主義経済は、企業や個人が自分の手持ち資金だけでなく、大きな資金の融資を受けることによって事業を拡大し、生産活動を活発化させて成長する。

それが証拠に銀行からお金を借りない企業など存在しないわけで、融資(借金)がダメというなら銀行そのものが不要ということになる。

健全な形での債務の拡大(不良債権でない返済可能な債務の拡大)が資本主義発展の真髄である。

しかしデフレになると前述のとおり企業も個人も通貨の保持(預金や内部留保、借金返済)に躍起になり市中に出回る通貨供給量が減って、経済は停滞することになる。こういう時には政府が企業や国民が縮小させた分の債務を逆に拡大させ、投資をすることで雇用を維持し国民の供給に応え、全体の需給バランスを均衡させることで国民生活を守らなければならない。デフレ下では政府財政の収支を均衡させることより、民間・政府を合わせた全体の債権債務の収支バランスを均衡させることが重要なのだ。

政府が公共投資することで作られた新技術や新インフラをもとに新産業が生まれ、新たな需要が掘り起こされる。結果、消費が活発になり供給過剰(デフレ)を放置した先に待っている供給破壊から回避することができる。

これを実践したのが日本で6度も蔵相に就任した高橋是清のリフレ政策であり、米国のルーズベルト大統領のニューディール政策である。

これはケインズの経済理論として知られているが、その理論が広く世間に出る前に、高橋は、金輸出禁止と合わせて日銀引き受けによる政府支出(当時は軍事予算の増額等)を行い、世界恐慌の影響も受けて混乱する日本経済を世界最速でデフレ脱却させたのだ。

一方、インフレ期とは、市場の需給バランスが供給不足、需要過剰の状態をいう。

働きたい人・生産された物という供給量に対して、買いたいと思う需要が大きいということである。

そうなると皆が買いたいと思っているから物の値が上がり通貨の価値が下がる。昨日2000万円で買えたマンションが明日には2500万円になっているかもしれない。だから、預金をするより消費や投資に当てられ更に消費は加速する。

長年かけて溜め込んだ銀行預金の貨幣価値がどんどん下がって行くなら借金してでも消費に回して現物化・投資に回そうとする。

あまりインフレが加速すると、重度の供給不足で庶民の消費活動が不能(庶民に物資が行き渡らなくなる)に陥る危険があるので、ここでも政府による対策が必要となる。

デフレ期とは真逆の対策だ。

即ち、政府の公共投資を控えることで国家経済全体の需要を抑え、国民の消費意欲を抑制するための対策(例えば消費税増税や金利の引き上げなど)が必要となる。

行政のスリム化などの構造改革も、本来インフレのタイミングでやるべきだ。前述のとおり供給不足がインフレなわけで、行政のコストを民営化することは民間の供給量を増やすことになる。また、リストラでクビにされた公務員がいたとしても「供給不足=求人増」な訳だから再雇用のチャンスが多い。

であるなら、政府支出をどんどん減らしても自殺する者は少ないはずである。

逆にこれを供給過剰なデフレ期にやれば、更に供給量を増やすことになりデフレが悪化、公務員をクビにしても、ただでさえデフレで失業者が増大しているのに再雇用の機会など無く、更に失業率は悪化する。失業率が上がれば自殺者も増える。就職先がないということは社会に必要とされない人間であると烙印を押されたのに等しい。人間が生きていくマインドにとって極めて過酷な状況と言える。インフレとデフレを比べた場合、失業者を増大させるデフレの方が悪であることは言うまでもない。

雇用の確保こそ、国民生活の確保なのである。

長々と述べてきたが、結論は、日本は一刻も早くデフレから脱却しなければならない。

脱却のためには正しいデフレ対策、「減税」と「公共事業の増加」「構造改革・規制緩和の抑制」が必要である。

逆に、インフレ期には「増税」と「公共事業の抑制」「構造改革・規制緩和の推進」はその対策となる。

いずれも真逆なこれらの政策も、タイミング次第で薬となり毒となる。

例えるならば、「肥満の者にはダイエットは薬であるが、飢餓の者にダイエットは命取りになる」ということである。

今、野田政権は「消費税の増税」「公共事業の削減」「TPPによる外国資本の規制緩和」を行おうとしている。

どれもインフレ期にやるべきもので、デフレのタイミングでは毒である。

今の日本経済は紛れもないデフレである。

政治家を含めわれわれ国民は、よくよく歴史に学び現実を正しく把握した上で対策を考えねばならない。

構造改革だの、維新だの、グローバル化だの、イメージだけの判断はもう止めなければならない。

痛みに耐えて質素倹約、いつまでたっても抜け出せない一億総不幸国家は御免被る。

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