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随時所感

2022.11.20

豊橋東高等学校120周年祈念式典での挨拶

アイプラザ豊橋大ホールで開催された『豊橋東高校の創立120周年記念式典』に参加し、祝辞を述べる機会を頂きました。
普段、こうしたケースは出席県議を代表して当選回数の多い県議がスピーチするのですが、たまたま先輩議員の欠席で私にお鉢が回ってきたわけです。
頂いた時間は3分。せっかくの機会ですから少し予習をし、気合いを入れて臨みました。
以下、その時の挨拶全文です。
〇ご紹介をいただきました県会議員の中村竜彦です。
 まずもって本日は豊橋東高等学校の120周年祈念式典のご盛会、誠におめでとうございます。
 本席には他の同僚議員も出席され、欠席の方も代理を立てられておみえでありますが、ご指名でありますので、私から一言お祝いを申し上げたいと思います。
 120年前と言いますと明治35年、高校受験の際に覚えた年号の語呂、『イクワヨ1904日露戦争』の2年前。バルチック艦隊を破った戦艦三笠が、竣工した年であります。
 江戸から明治になり、たった35年で、日本は列強に追いつけ追い越せと、軍事力もさることながら、教育の面にも力を入れ、明治32年に高等女学校令が発せられたことで豊橋にも豊橋東高校の前身である豊橋町立高等女学校が開校されたわけであります。
 丁度いま、NHKで鎌倉殿の13人がやっていますが、頼朝が将軍として幕府政治をやるようになり、最後の江戸幕府が滅ぶまで683年間。途中、鉄砲が入ってきたくらいの技術革新はありましたが、基本的には武家政権が続いたわけです。
 明治維新により日本は政治体制を含め大変革し、さらに戦争と敗戦を経ることで、人々の価値観は更に一変し、高度経済成長を経て、今があります。
 特に今申し上げた明治維新後の社会は、幕府時代などの日本の長い歴史に比べれば短期間であるものの、しかしその中身の密度は濃く、凄まじいスピードでの変化と進歩がありました。
 その中、豊橋高女も東高校と姿を変えながら、120年もの激動の時代を、香淳皇后や世界的画家の松井守男画伯、私の政治の師匠でもあります元内閣官房副長官の浅野勝人先生はじめ、多数の人材を育て世に排出し続けて来られたわけであります。
 私が高校生の頃は地球人口は60億人と言われましたが、今や80億人を超えたそうであります。
 一方、日本の少子化の波は凄まじく、ピークだった73年前に年間260万人生まれていた子供の数は、今年は77万人だそうであります。
 また、コロナの影響で子供たちにタブレットを一台ずつ持たせる時代になりました。
 今後、まだまだ社会の価値観を変え得る劇的な変化がそう遠くない将来にあるのではないかと予感しますが、いかなる時代にあっても、時代を捉え、これからも長く、この豊橋東高等学校が東三河の多感な16、17、18歳という青春時代に、将来への希望を持って過ごされる皆さんの学舎として、歴史をさらに刻んでいかれますことを心からご期待申し上げます。
 結びに当たり、本日の式典開催の準備にあたられた関係者の皆様に敬意を表し、また、本日ご参集の皆様の益々のご健勝を祈念致しまして、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
 本日はお招きいただきありがとうございました。
以上。

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